2026年1月29日──。この日、自動車の歴史は大きなマイルストーンを迎えた。ドイツのエンジニア、カール・ベンツが世界初となる「自動車」を世に生み出した140年前から始まったメルセデス・ベンツの足跡。それは、移動の概念を覆し、人類のライフスタイルを劇的に変革してきた歴史そのものといえる。ここでは、コラージュアートが織りなす独創的な世界観とともに、メルセデス・ベンツの歩みと未来へのビジョンをひも解く。

artwork : Kazuki Gotanda
words : Go Kato


140年の旅路、その原点

 

 

1886年1月29日、ドイツ南西部の街、マンハイム。カール・ベンツが世界初となるガソリン自動車の特許を取得したその日、人類の歴史における「移動」の意味は永久に書き換えられたと言っても過言ではないだろう。馬蹄の響きがエンジンの鼓動へと変わり、人々の生活圏は劇的な拡大を遂げることになったのである。

メルセデス・ベンツが歩んできたこの歴史は、単なる時間の蓄積ではない。常識を超える挑戦の連続であり、人々の自由を拡張し続けてきた進化の物語と言える。このアニバーサリーイヤーにおいて、メルセデスはその足跡を過去の記録としてのみ留めるのではなく、来るべき未来への道のりを照らす道標として再定義する試みを行っている。


歴史を刻んだ名車とデザインの系譜

 

 

自動車史にその名を刻んだメルセデスの名車たち。その始祖となるクルマが「パテントモトールヴァーゲン3号機」だ。排気量954ccの単気筒4ストロークガソリンエンジンを搭載した後輪駆動の三輪車。稀代の発明であることに疑いの余地はないが、このクルマの成功の裏には、カール・ベンツの妻・ベルタの大きな貢献があったことはご存じだろうか。1888年、彼女は夫に無断で車両を持ち出し、世界初の長距離ドライブ(走行距離は約100km)を敢行。ベルタは、事業の資金面や経営面で夫をサポートしたのみならず、実走テストを通じてガソリン車の実用性と信頼性を世に証明して見せたのである。

20世紀に入ると「メルセデス35 HP」(1901年)が登場。カール・ベンツの発明と時を同じくして、自動車、内燃機関の開発を行っていたゴットリープ・ダイムラーが設立したダイムラー・モトーレン・ゲゼルシャフト社のビジネスパートナーだったエミール・イェリネックの強い要望で、より速く、パワフルなクルマが求められるモーターレースでの勝利とビジネス拡張のために開発された1台だ。イェリネックの娘の名前がメルセデスであり、今では当たり前の「メルセデス」の名が冠された最初のモデルとなった。低重心シャーシなど現代自動車の基本骨格を確立したクルマとしても知られている。ちなみに1926年には、カール・ベンツのBenz & Cie.とダイムラーが事業統合を果たしダイムラー・ベンツ社が誕生。現在の「メルセデス・ベンツ ブランド」へと継承される礎が築かれたのである。

戦後の復興を象徴するのが1954年の「300 SL(W198)」。カモメの翼のように開くガルウイングドアは、機能美の究極として今なお人々を魅了し続けている。そして1972年、「初代Sクラス(W116)」が誕生し、ラグジュアリーセダンの世界基準を打ち立てたのである。

さらに、未来への布石として見逃せないのが、AMG初となる電動コンセプトカー「Concept AMG GT XX」と同じくコンセプトカーである「Vision Iconic」の存在だろう。前者は、昨年末のジャパンモビリティショー2025で日本初公開され話題となったことも記憶に新しい。電動スポーツカーの未来像を象徴するこのクルマは、EV時代においても「ドライビングパフォーマンス」というブランドの根幹が決して揺るがないことを高らかに宣言している。

一方の「Vision Iconic」は、メルセデスが提示する「美しさと知が共存する未来」を体現。アールデコを想起させる流麗なボディを誇るこのクルマには、発電するソーラーペイントや脳神経を模したニューロモーフィック・コンピューティングなどの最先端技術が搭載されている。まさに伝統的な美意識と未来の知性が融合し、一つの造形として見事に結実した一台だ。


伝説の走り、そして究極の安全性能

 

 

メルセデスの歴史は、極限の「速さ」と究極の「安全」という、相反する要素を融合していく歴史でもある。特に、モータースポーツ史において、1934年の出来事は今も伝説として語り継がれている。ニュルブルクリンク(ドイツ)のサーキットで開催されたレースにおいて、新型車「W25」が1kgの重量超過と判断された際、チーム監督のアルフレート・ノイバウアーは塗装をすべて剥ぎ落とすという奇策に出た。剥き出しになったアルミニウムのボディが銀色に輝きながら疾走したことから、その後、メルセデスのレースカーを表現する「シルバーアロー(銀の矢)」の異名が誕生したのである。この伝説は1955年のミッレミリア(イタリアの公道自動車レース)へと続き、イギリス人ドライバー、スターリング・モスは「300 SLR」を駆り、イタリアの公道1,000マイル(約1,600km)を平均時速157kmという脅威の速度で走破した。

そして現代、メルセデスのDNAはF1の世界で結実する。2014年に投入された「F1 W05 Hybrid」を皮切りに、Mercedes-AMG PETRONAS F1チームは卓越した技術的優位性を発揮し、ルイス・ハミルトンという稀代のドライバーと共に、2014年~2021年にかけて前人未到のコンストラクターズタイトル8連覇を達成、メルセデスのエンジニアリングが最頂点にあることを証明したのである。

しかし、メルセデスの真の革新性は安全性能の飽くなき追求にある。1939年にはすでに自動車の安全性を研究する専門部門を発足させ、ここでの研究を通じて、衝撃吸収構造(クラッシャブルゾーン)* を備えたシャーシの開発に着手。1959年からは完成車を用いた衝突テストを開始し、現在では年間最大900回にも及ぶ、シビアな安全性の検証を行っている。さらには、これまで5,000件以上の実際の事故車両を徹底分析し、そこから得られたデータも技術開発へとフィードバックしている。

* 衝突時に車体を意図的に変形させて衝撃を吸収する技術で、天才エンジニアと謳われたベラ・バレニーが開発し、特許を取得。メルセデス・ベンツの衝突安全設計の礎を築いた。

この徹底した実証主義が、ABSの量産化、横滑り防止装置(ESP)、SRSエアバッグといった数々の発明を生み出したのである。事故を未然に防ぐ「アクティブセーフティ」と、衝突時の被害を軽減する「パッシブセーフティ」。この双方を包括的にカバーする思想こそ、メルセデスが選ばれ続ける理由といえるだろう。


カルチャーを牽引するアイコン

 

 

メルセデス・ベンツの存在は、単なる移動手段という枠組みを超え、時代を象徴する文化的アイコンとしての地位も確立している。かつて「600(W100)」が世界各国の王室や元首の公用車として選ばれたほか(日本の天皇家も“御料車”として使用)、昭和の名俳優として知られた石原裕次郎やビートルズのジョン・レノン、ジョージ・ハリスンから、現代ではハリウッドスターのブラッド・ピット、テニスのロジャー・フェデラーなどのセレブリティもメルセデスの歴代オーナーとして知られている。

その一方で、欧州の街角では、最も信頼できる市民の足としてEクラスのタクシー導入が進んだ。この守備範囲の広さこそがメルセデスというブランドの深みであると言えるかもしれない。

そして現代、メルセデスの影響力はストリートカルチャーへも波及している。最近の事例で象徴的なのが、NIGO®とのコラボレーションによるアートピース「Mercedes-Benz Project G-Class Past II Future」だ。モンクレールとの共作として発表された本作は、完全レストアされた90年代のGクラスをベースに、NIGO®が現代的再解釈を加えた一台。

マットなオリーブグリーンとグレーのツートンカラー、折りたたみ式フロントガラスなど、90年代のエネルギーと現代のデザイン言語が融合している点が特徴だ。「過去を前進させる(Past Forward. Where the Future is Driven by the Past)」というテーマのもと、このアートピースにインスパイアされた限定車が世界20台でリリースされたほか、ジェンダーニュートラルなカプセルコレクションも展開され大きな話題を呼んだ。

伝統と革新、王室からストリートまで、あらゆる領域を横断するメルセデスは、単なる高級自動車メーカーではなく、カルチャー全般を包括する真のラグジュアリーブランドとして、その地位を確立しているのである。


次の140年へ向けて

カール・ベンツがガソリン車を世に生み出してから140年。その間にメルセデスが積み重ねてきた歴史は、単なる技術革新のリストアップでは表現できない。「最善か無か(The Best or Nothing)」という哲学のもと、いかに人間を安全に、快適に、そして心躍る移動へと誘うかというミッションのあくなき探求の軌跡なのである。

世界初のガソリン車開発から始まり、伝説のシルバーアロー、絶対的な安全神話、そして現代のラグジュアリーアイコンへ――。時代ごとの社会要請に応えながらも、その中心にあるブランドの魂は一度として揺らいだことはない。140年前に「馬なし馬車」で世界を驚かせたパイオニア精神は、今なお確実に受け継がれているのである。メルセデス・ベンツの偉大なる旅路=One Great Journeyは、この記念すべきアニバーサリーを通過点として、次の140年へと加速していくのである。


PROFILE

五反田和樹

映像作家、コラージュアーティスト。1981年広島県生まれ。学生時代に海外の映画、音楽、哲学、アートムーブメントに触れ、映像表現の道へ。広告代理店や印刷会社での経験を経て、2009年に独立。断片的で多層的な現実、そして不確かさをテーマに、映像、コラージュ、アニメーションを横断する作品を制作。現在はクライアントワークと並行し、実験的な短編映像から長編映画まで、表現のフィールドを拡張している。

https://filmout.jp/
五反田和樹