去る2025年10月に世界初公開されたコンセプトカー「Vision Iconic」。このクルマが体現するのはメルセデス・ベンツが提示する「美しさと知が共存する未来」だ。このアールデコに着想を得た流麗な“動く彫刻”には、ボディ自体が発電するソーラーペイントや、脳神経を模したニューロモーフィック・コンピューティングなどの最新技術が息づき、伝統的な美意識と最先端の知性が、一つの造形として見事に結実している。

words : Go Kato


メルセデスの伝統を再解釈

世界各国から集まったプレスや関係者の熱い視線が注がれる上海のステージで行われた「Vision Iconic」のアンベール。それは、新型コンセプトモデルの単なる記者発表ではなく、メルセデスが掲げる“New Iconic Era”(新たな象徴の時代)の到来を高らかに宣言した場として後世に記憶されることだろう。

Vision Iconicの第一印象を決定づけるのは、静けさと威厳が同居するそのプロポーション。そして、1960年代の「W108」や「W111」、そして「600 Pullman」といった伝説的なモデルを飾った「顔」を再解釈したフロントグリルだろう。幅広のクロームフレームとスモークガラスの格子構造、そして内蔵されたライトが織りなす立体的な輝きは、電動化・デジタル化が進む現代を先頭に立って牽引していくかのような絶対的な佇まいを備えている。

 

メルセデス・ベンツ・グループAGのチーフデザインオフィサーを務めるゴーデン・ワグナーはVision Iconicを“動く彫刻”と表現し、次のように語っている。

「デザインとは、ブランドの魂そのものです。Vision Iconicは、私たちが掲げる美学の純粋なエッセンスを体現しています。 威厳ある存在感を放つボンネット、彫刻のように流れるライン、そしてアールデコのエッセンス。これらは過去への敬意であると同時に、未来への声明でもあります。伝統的なクラフツマンシップと最先端テクノロジーの共存こそが、私たちが考える『最も美しく、最もプレステージな価値観』なのです」


「ハイパーアナログ」が紡ぐ時空

自動運転技術がレベル4(=限定されたエリアや条件下において、車載システムが全ての運転操作を行う)に到達し、ドライバーがステアリング操作から解放されたとき、クルマの室内はいかなる空間へと進化するのだろうか。この問いに対してVision Iconicが提示した答えは、移動のためのコクピットではなく、感性を研ぎ澄ませるための「ラウンジ」としての機能だった。

インテリアのデザインテーマは「ハイパーアナログ」。デジタル技術の利便性と、アナログならではの温かみや質感を高次元で融合させる試みだ。ドアを開けると、まず目に飛び込んでくるのはインストルメントパネルの中央に鎮座する「ツェッペリン」。飛行船を思わせるその流麗なガラスの造形は、空中に浮遊しているかのように配置されている。

ステアリングを握るドライバーの眼前で展開されるのは、高解像度のハイテクスクリーンでありながら、機械式の高級タイムピースを彷彿とさせるアナログ・アニメーション。デジタル特有の冷たさを排除し、針の動きや光の反射まで計算し尽くされたその描写は、見る者に「時間の重み」すら感じさせる。また、ダッシュボード中央にはブランドロゴがデザインされたAIコンパニオンが配置され、ドライバーや同乗者の問いかけやリクエストにいつでも応えてくれる。

特筆すべきは、インテリア空間を彩るマテリアルへのこだわりだ。ツェッペリンの背後には、深みのある光沢を放つ「マザーオブパール」(真珠母貝)の象嵌細工が広がり、工芸品のような美しさを湛えている。さらに視線を下に向ければ、フロアには「ストローマルケトリー」(麦わら象嵌)が施されていることに気づくことだろう。これは17世紀に生まれ、1920年代のアールデコ期に重用された装飾技法だ。職人の手によって一本一本並べられた麦わらが描く幾何学模様は、最新EVの車内に、数世紀にわたる手仕事の記憶を呼び覚ます。

そしてリアシートへと続く空間は、さながらプライベート・サロンの趣だ。深いブルーのベルベットで仕立てられた広大なフロントベンチシートは、ドライバーと同乗者の境界を取り払い、会話とリラクゼーションを促進する。ドアパネルからリアへと流れるように配置された真鍮のアクセントや、スターパターンを描く光の演出は、ここが単なる車内ではなく、美意識を研磨するための「第3の場所」であることを無言のうちに語りかけているかのようでもある。


美の造形と同居する最新技術

Vision Iconicの美しさは、表面的な装飾だけではない。その流麗なボディそのものが、最先端のエネルギー生成装置となっている点においても、このクルマは革新的と言える。例えば、メルセデスが研究開発を進める「ソーラーペイント」は、従来の無機質なソーラーパネルとは一線を画す。ウエハースのような極薄のペースト状モジュールをボディに塗布することで、全体の造形を損なうことなく、クルマのあらゆる曲面を発電装置へと変えることに成功したのである。

 

効率は極めて高く、理想の気象条件下であれば、年間で約1万2,000キロメートル(中型SUVの平均的な年間走行距離に相当)を走行可能な電力を太陽光のみで賄うことができる。さらに、このコーティングにはレアアースやシリコンが含まれておらず、リサイクルも容易だ。環境負荷を最小限に抑えながら、停車中であっても太陽がある限りエネルギーを創り続ける──。それはまさに、自然と共生するテクノロジーの理想形と言えるだろう。

 

そして、このクルマの知能を司るのが「ニューロモーフィック・コンピューティング」だ。従来のコンピュータとは異なり、人間の脳神経回路の働きを模したこの革新的なシステムは、AIの処理能力を劇的に進化させる可能性を秘めている。自動運転や高度な安全支援システムは膨大なデータを瞬時に処理する必要があり、それに伴う電力消費はEVにとって大きな課題だった。しかし、ニューロモーフィック・コンピューティングは、現在のシステムと比較してエネルギー効率を10倍以上に高め、データ処理に必要な電力を90%削減することを可能にする。

これにより、視界不良時や複雑な道路状況下でも、人間のように直感的かつ瞬時に判断を下すことが可能になる。つまり、Vision Iconicは、プログラムされた通りに機能するだけの無味乾燥なマシンではなく、人間に相当する知能と知覚を備えたパートナーとしての存在へと進化していくのである。


 デザインブックに秘められた思想

Vision Iconicの発表と時を同じくして、『ICONIC DESIGN BOOK』と題された一冊の書籍が発表された。この本は単なるデザイン画集などではない。メルセデス・ベンツの過去、現在、そして未来をつなぐ「思想の書」であり、これからの新時代に向けたマニフェストとも言える存在だ。この本の中で、前述のワグナーと彼が率いるチームのデザイナーたちが、21世紀のメルセデス・デザインを定義する次の3つの核心的概念を提示している。

Attraktivität(魅力):ロジックを超越して、直感的に人の心をつかむ力。それはひと目見た瞬間に恋に落ちるような、情動的な美しさ。

Zeitlosigkeit(タイムレス):流行を追うのではなく、時間を超えて価値を維持し続ける。今から数十年後に振り返ったとき、そのデザインが「クラシック」として称賛される普遍性をもつこと。

Klarheit(クラリティ):明瞭さ、純粋さ。複雑な装飾を削ぎ落とし、本質的なラインだけで構成される潔さ。

「デザインこそがブランドの魂である」との信条を堅持し、常に新しいインスピレーションを探求し続けるワグナー。この『ICONIC DESIGN BOOK』には、ワグナー自身の独占インタビューをはじめ、普段は見ることのできないデザインスタジオの深層部や、未公開のビジュアルアセットなども収録されている。

そして何よりこの本が私たちに対して語りかけるのは、Vision Iconicという一台のクルマが、突発的なアイデアではなく、綿密に積み上げられた哲学の上に成り立っているという事実だ。New Iconic Eraとは、これら3つの哲学を指針として描かれる、メルセデスの新しい世界観そのものなのである。


未来を導く象徴として

メルセデス・ベンツにおいて、デザインはブランドの精神であり、未来への思想そのものである。そして今回アンベールされたVision Iconicは、「クラシック」「ハイテク」「エコロジー」などの独立した要素を部分的に象徴しているのではなく、それらすべてを内包・融合して生み出されたひとつの造形言語と言えるだろう。そして、ここにメルセデスが次に目指すラグジュアリーとは、スピードでもスペックでもなく、「知性と感性の共存」であることが高らかに表明されているのである。Vision Iconicが示したのは、そんな未来の豊かさ──美と知、過去と未来、そしてブランド自身の魂がひとつになる新しい時代の姿なのである。

 

このクルマが走り出すとき、その静かな輝きは、次の100年を導く光になるだろう。

ABOUT CAR

Vision Iconic

2025年10月に上海で世界初公開されたメルセデス・ベンツのコンセプトカー。ボディ表皮が発電装置となるソーラーペイントや、脳神経を模して機能するニューロモーフィック・コンピューティングなどの最新テクノロジーを搭載。また、このクルマのインテリアから着想を得たカプセルコレクションも展開。金、銀、ダークブルーを基調に、アールデコと現代デザインを融合したアパレルラインとなっている。
Vision Iconic